プログラミング習得について~自分史 その2

(その1より)

大学院卒業後は学業をあきらめソフトウェア開発の会社に入りました。配属されたのは顧客が所有する大型コンピューター(「メインフレーム」とも言います)の管理センターでした。何十畳もある大きな部屋の中に冷蔵庫よりも大きいCPUや磁気ディスクのユニットがずらりと並び、磁気テープがくるくる回り、大型のプリンターからすごい勢いで帳票が印刷されているような場所です。そこでまず習わされたのがPL/1というメインフレームコンピューター用言語でして、私が他人から本格的に習った初めての言語になりました。もう二十年以上使ってませんが、骨の髄まで沁みついているので今でもコーディング出来ると思います。この言語を使って、メインフレームからレポートされる様々な情報(課金情報、エラー発生状況、データベースの状況など)を見やすく集計しプリンタに出力するプログラムをよく作成しました。

コンピューターセンターでは通販のシステムなど様々なシステムが動いていて、それらがトラブルなく動く様に「お守り」をするのが私たちの仕事でした。通販のシステムにおいては日中にオンライン端末で受けつけた大量の注文をさばくために、夜中に沢山のバッチ処理が動きます。それらが正常に終わらないと翌日、商品や請求書の発送処理などに支障をきたし、通販の会社に多大な損失を与えてしまいます。それらの処理が正常に動いているか監視し、トラブルの際には迅速に対応できるよう、当番制で泊まり勤務がありました。先輩社員とペアで、ひと月に2~3回は泊まっていました。

メインフレームにはプログラムを実行し制御するための言語としてジョブ制御言語(JCL)と言うものがあります。処理が異常終了すると、原因を明らかにした上でJCLを修正し再実行します。JCLは本当に沢山書いたり修正したりしましたので、今でもよく覚えています。

バッチ処理が異常終了すると自動的に声で通報するシステムも動いていました。泊まりでトラブルがない時はそのプログラムの改修作業もやらされました。NECのPC-9801シリーズでN88-BASICを使って動いており、BASICもマスターできました。

(続く)

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